伊曾保物語 (中) - 36 腹と五體の事

 ある時、五體、六根をさきとして、腹を猜んで申けるは、「われら面々は、幼少の時よりその營みをなすといへども、件の腹といふものは、若うより終になす事なくて、あまつさへわれらを召し使ふわざをなんしける。言語道斷、奇怪の次第なり。今より以後、かの腹に從ふべからず」とて、五三日は五體六根何事もせず、食事をもとゞめておるほどに、初は腹一人の難儀とぞ見えける。かくて日數經にけるほどに、なじかはよかるべき。五體六根迷惑して、つゐにくたびれ極まる。困窮するにおよびて、「もとのごとく腹に從ふべし」といふ。
 そのごとく、人としても、今までしたしき中を捨てて、從ふべき者に從はざれば、天道にも背き、人愛にも外れなんず。かるが故に、ことわざに云、「鳩をにくみ豆作らぬ」とかや。