伊曾保物語 (上) - 01 本國の事

 去程に、えうらうはのうち、ひりしやの國とろやと云所に、あもうにやといふ里あり。その里にいそほといふ人ありけり。其時代、えうらうはの國中に、かほどの見にくき人なし。其ゆへは、頭はつねの頭二つがさあり。まなこの玉つはぐみ出でて、そのさきたいらかなり。顏かたち、色黒く、兩の頬うなたれ、首ゆがみ、せい低く、足長くしてふとし。せなかかゞまり、腹ふくれ出でて、まがれり。もの云ことおもしろげなり。その時代、此いそほ、人にすぐれてみにくき物なきがごとく、その上、才覺又ならぶ人なし。
 されば、その里に戰ひおこつて、他國の軍勢亂れ入、かのいそほを搦め取りて、はるかの餘所へ聞えける、あてえるすと云國の、ありしてすといふ人に賣れり。かの物の姿のみぐるしきを見て、なすべきわざなければとて、我領地につかはし、百性等にひとしく、牛馬を飼はしむるわざをなんおこなふ。かくて年經ぬれど、さるべき人とも知らずなん侍りける。折節、ある商人此者を買い取る。ありしてす、得たり賢しとかの商人に賣り渡さる。なを別の人二人買い添へ、以上三人召し具して、さんといふ所に難なく行けり。其里において、しやんとといへるやむごとなき知者の行きあひ、かの商人に尋ねていはく、「御邊の召し具しける者どもは、なに事をかはし侍るぞ」とのたまへば、商人人答云)、「一人は琵琶を引げに候」と申ければ、かのしやんと、すぐに二人の者に問ひ給はく、「面々は、何事をし侍るぞ」と仰ければ、二人もろともに答云、「あらゆるほどの事をば形のごとく知り侍る」と申。その後又いそほに、「汝はいかなる物ぞ」と問ひ給へば、いそほ答云、「我はこれ骨肉也」と申ければ、「我汝に骨肉を問はず。汝いづくにて生れけるぞや」と仰ければ、いそほ答いはく、「われはこれ母の胎内より生れ候」と申。「汝に母の胎内問はず。汝が生れたる所はいづくの國ぞ」と仰ければ、伊曾保答へていはく、「われはこれ母の産みたる所にて育たり候」と申。その時しやんと、「かれが返答は、たゞ魚の島をめぐるがごとし。さて、汝はなに事をか知り侍」と問はせ給へば、いそほ答云、「なに事をも知り侍らぬ者にて候」と申。その時、しやんとかさねて仰せけるは、「人として物のわざなき事あたはず。汝なにのゆへにかしわざなきや」と仰せければ、いそほ答へて云、「われなにをかなすと申べき。その故は、件の兩人、あらゆるほどの事をば知るといへり。是に漏れて、われなにをか知り候べきや」と申。その時、しやんといそほに問ひ給はく、「我汝を買い取るべし。汝におゐていかん」と仰ければ、いそほ答云、「たゞ其事は其身の心にあるべし。いかでかそれがしに尋ね給ふぞ」と申。しやむと、かさねての給ふは、「我汝を買ひ取るべし。その時逃げ去るべきや」と仰せければ、伊曾保答云、「われこの所を逃げ去らん時、御邊の異見を受くべからず」と申。
 かやうに、さま\〃/けうがる答へどもし侍りければ、心寄せに思ひて、いささかの價に買ひ取り、かの商人と行給ふに、ある關の前にて、かの伊曾保が姿を見て、「あやしの者や「ととゞめおきて、」これはたれの召し具し給ふ物ぞ」と尋ねければ、しやんとも商人も、あまりにいそほが見にくき事を恥ぢて、「知らず。」と答ふ。いそほこの由うけ給はり、「あなうれしの事や。われに主なし」といひて勇みあへる。その時、しやん共商人も、「是はわが所從にて候」との給ひ、それよりしやんといそほを召つれ、わがもとへ歸り給也。