ある人、三人の知音を持ちけり。一人をば我身よりも大切に思ふ人なり。今一人は、我とひとしく思ふ也。いま一人は、その次なり。此三人とつねにともなふ事年久し。ある時、その身に難儀出來る時、此知音のもとに行て、助成をかうむらんとす。まづ、「我難儀を助け給へ」と申ければ、「せんかたなし」とて、いさゝかも助けず。我とひとしく思ふ人のもとに行て、「わが難儀を助け給へ」といへば、「わが身もまぎらはしき事あれば、えこそ助け奉るまじけれ。糺し手の門外までは御伴をこそ申べけれ」と計也。又、其次に思ひけるは知音のもとに行て申けるは、「われつねに申ぜずして、今更わが身に悲しき事のありとて申事はいかばかりなれども、われ今大事の難儀あり。助け給へかし」と申ければ、かの知音申けるは、「仰のごとく、つねにしたしくはし給はね共、さすが知り侍りたる人なれば、只し手の御前にて方人とこそなり侍らめ」といひて出ぬ。
そのごとく、わが身の難儀とは臨終の事なり。我身より大切に思ひ過したる友とは、財寶の事なり。我身とひとしく思ふ友とは、妻子眷屬の事なり。その次に思ふ友とは、わがなすよきやうなり。然らば、命終らん時、わが財寶に助けんといはば、いかでかは助くべき。かへつて仇とこそ見えられたれ。妻子眷屬を頼めばとて、いかでかは助かるべき。かへつて、これをもつて臨終の障りとぞ見えける。此知音、「糺し手の門外まで」といひしは、墓所まで送る事なり。いさゝかのよきやうの友とこそ、まことに糺し手の御前にて方人とならん事あきらかなり。その時に臨んでは、「われ存生にありし時、ひとりの方人を若おかまし物を」と、悔やむべき事疑ひなし。



