ある時、庭鳥苑に出て餌食をもとむる所に、狐、「これを■らはばや」と思ひ、まづ謀をめぐらして申けるは、「いかに庭島殿、御邊の父御とはしたしく申承候ぬ。この後は御邊とも申承はらめ」といひければ、庭鳥實かなど思ふ所に、狐申けるは、「さても御邊の父子は、御聲のよかんなるぞ。あはれ一節歌ひ候へかし。聞侍らん」と云。庭鳥讚めあげられて、すでに歌はんとして目を塞ぎ、頚をさし伸べける所を、しやかしとくわへて走るほどに、庭鳥の鳴聲を聞きつけて、主おつかけて、「わが庭鳥ぞ」と叫びければ、狐をたばかりけるは、「いかに狐殿、あのいやしき物の分として、我庭鳥と申候に、御邊の庭鳥にてこそあれと返答し給へ」といひければ、狐げにもとや思ひけん、その庭鳥をさし放し、跡を見返るひまに、庭鳥すでに木にのぼれば、狐大きに仰天して、空しく山へぞ歸りける。
其ごとく、人がものをいへと教ゆればとて、思案もせず、あはてて物を云べからず。かの狐が庭鳥を取り損ひけるも、思案なげに物をいひけるゆへにぞ。