伊曾保物語 (下) - 01 蟻と蝉の事

 去程に、春過夏たけ、秋も深くて、冬のころにもなりしかば、日のうら\/なる時、蟻穴より這ひ出、餌食を乾しなどす。蝉きたつて蟻と申は、「あないみじの蟻殿や。かゝる冬ざれまでも、さやうにゆたかに餌食を持たせ給ふものかな。われにすこしの餌食をたび給へ」と申ければ、蟻答云、「御邊は、春秋の營みにはなに事をかし給ひけるぞ」といへば、蝉答云、「夏秋身の營みとては、木末にこたふばかりなり。その音曲に取り亂し、ひまなきまゝにくらし候」といへば、蟻申けるは、「今とてもなど歌ひ給はぬぞ。謠長じてはつゐに舞とこそは承はれ。いやしき餌食をもとめて、何にかはし給ふべき」とて、穴に入ぬ。
 そのごとく、人の世にある事も、我力におよばんほどは、たしかに世の事をも營むべし。ゆたかなる時つゞまやかにせざる人は、貧しうして後、悔ゆる物なり。さかんなる時學せざれば、老て後悔ゆるものなり。醉ひのうちに亂れぬれば、醒めての後悔る物なり。返々も是を思へ。