伊曾保物語 (中) - 28 蝿と蟻との事

 ある時、蝿蟻にむかつて誇りけるは、「いかに蟻殿、謹(つ)しんで承はれ。われほど果報いみじき物は世に有まじ。其ゆへは、天道に奉る、あるひは國王に備はる物も、まづわれさきになめこゝろむ。しかのみならず、百官卿相の頂をもおそれず、ほしゐまゝにとびあがり候。わとのばらが有さまは、あつぱれつたなきありさま」とぞ笑ひ侍りき。蟻答云、「もつとも御邊はさやうにこそめでたくわたらせ給へ。但世に沙汰し候は、御邊ほど人にきらはるゝものなし。さらば、蚊ぞ蜂ぞなどのやうにかひ\〃/しく仇をもなさで、やゝもすれば人に殺さる。しかのみならず、春過夏去りて、秋風立ぬる比は、やうやくつばさをたゝき、頭を撫でて手をするさまなり。秋深くなるに從つて、つばさより腰拔けて、いと見ぐるしきさまとぞ申傳へける。わが身はつたなき者なれども、春秋の移るをも知らず、ゆたかにくらし侍るなり。みだりに人をあなづり玉ふ物かな」と恥ぢしめられて立ち去りぬ。
 そのごとく、いさゝかわが身にわざあればとて、みだりに人をあなづる時は、かれ又をのれをあなづるものなり。