伊曾保物語 (下) - 27 土器慢氣をおこす事

 ある土器を作りて、いまだ燒かざる前に乾しけり。此土器思ふやう、「さてもわが身は果報めでたき物かな。あるひは田夫野人の踏みものたりし土なれども、かゝるめでたき折節に生れあひて、人に愛せらるゝことのうれしさよ」と慢じゐける所に、夕立、かの土器のそばにきたつて申けるは、「御邊は何人にておはせしぞ」と問ひければ、土器答云、「われはこれ帝王の盃也。いやしき物のすみかにゐたる事なし」と申ければ、夕立申けるは、「御邊はもとを忘れたる人なり。今さやうにいみじく誇り給ふとも、一雨あたまにかゝるならば、たちまちもとの土となつて、厠垣壁に塗られなんず。人もなげに慢じ給ふ物かな」といひ捨てて、俄に夕立、かみなりさはひで、かの土器を降りつぶしければ、本の土とぞなりたりける。
 其ごとく、人の世にありて、世路に誇るといへども、たちまち土器の雨に碎くるがごとく、不定の雨にさそはれて、野邊の土とぞ成にける。我身よく\/觀ずれば、かの土器にことならず。恩愛のしたしきいもせの中も、思へば根本土なりけり。かくけがらはしき土をのみ愛して、當來の勤めをせぬ人は、無常の夕立に打たれん時、千たび悔ゆるとも甲斐あるまじひ。かねて此事をよく案ぜよ。