あてえるすといふ所に、その主君なくて、何事も心にまかせなんありける。その所の人あまりに誇りけるにや、「主人をさだめばや」なんどと議定して、すでに主人をぞさだめける。かるが故に、いさゝかの僻事あれば、その人罪科におこなふ。これによ(っ)て、里の人に主君をさだめけるを悔ゐ悲しめども、甲斐なし。
その比、いそほその所に到りぬ。所の人々此ことを語に、そのよしあしをばいはず、たとへを述べて云、「昔ある河に、あまたの蛙集まり居て、「我主人をさだめばや」と議定し侍りき。「もつとも然るべし」とて、各天に仰、「我主人をあたへ給へ」と祈誓す。天道是をあはれんで、柱を一つ給りけり。その柱の河におち入音、底に響きておびたゝし。此聲におそれて、蛙ども水中に沈み隱る。しづまつて後、淤泥の中よりまなこを見あげ、「なに事もなきぞ。まかり出よ」とて、をの\/渚にとびあがりぬ。さてこの柱を圍繞して、我主人とぞもてなしける。されども、無心の柱なれば、終にあざけつて、各此上にとびあがり、又天道に仰ぎけるは、「主人は心なき木也。同は心あらん物をたべかし」と祈りければ、「憎ひしやつばらが物好みかな」とて、このたびは鳶を主人とあたへ玉ふ。主君によ(っ)て、蛙かの柱の上にあがる時は、鳶是をもつて餌食とす。其時、蛙千たび後悔すれ共、甲斐なし」。
そのごとく、人はたゞわが身にあたはぬ事を願ふ事なかれ。初より人に從ふ者の、今さら獨身とならんもよしなき事也。又、自由に有ける人の、主人を頼むも僻事なり。たゞそれ\/にあたる事を勤むべき事もつぱらなり。