伊曾保物語 (下) - 16 鼠と猫の事

 ある猫、家のかたはらにかゞみゐて、日々に鼠を取りけり。鼠さしつどいて申けるは、「何とやらん、この程は、我親類一族も行がた知らずなり侍るぞ。たれかその行衞を知り給ふ」といふ。こゝに年たけたる鼠進み出て申けるは、「こと高し。しづまれとよ。それは、この程、例の猫といふいたづら者、此うちに來て、餌食になし侍るぞや。かまひて油斷すな」などと申ければ、をのをの僉議評定して、「しかるにおゐては、今日よりして各天井に計住むべし」といふ法度をさだめり。猫、この由を聞きて、いかんともせんかたなさに、「たばからばや」と思ひて、死したる體をあらはして、四つ足を踏み伸べ、久しくはたらかずして居ける所を、鼠ひそかに此事を見て、上より猫に申けるは、「いかに猫、そらだまりなしそ。汝が皮を剥がれ、文匣の蓋になるとも、下にさがるまじきぞ」とひければ、猫是非におよばず起きあがりぬ。
 そのごとく、一度人を懲らす人は、いつも惡人ぞと人これをうとんず。たゞ人は、をろかにして、他人に拔かれたるにしくはなし。かまへてかゝる末の世に、人を拔かんと思ふ事なかれ。