ある時、野牛と狐と、渇に望て、井桁のうちにおち入て水を飮み終つて後、あがらんとするによしなき狐申けるは、「ふたりながら、この井桁の中にて死なんもはかなき事なければ、謀をめぐらして、いざやあがらん」とぞいひける。野牛、「もつとも」と同心す。狐申けるは、「まづ御邊せいを伸べ給へ。其せなかにのぼりて上にあがり、御邊の手を取りて上へ引き上げ奉らん」といふ。野牛、「げにも」とてせいを伸べける所を、狐そのあたまを踏まへて上にあがり、笑つて云、「さても+ 御邊はおろかなる人かな。その鬚ほど智惠を持ち給はば、われいかゞせん。なにとしてかは御邊を引き上げ奉らんや。さらば。」とて歸りぬ。野牛、空しく井のもとに日を送りて、つゐに、はかなくなりにけり。
其ごとく、我も人も難儀にあはん事は、まづわが難儀を遁れて後、人の難をも除くべし。わが身地獄に落ちて、他人樂しみを受くればとて、わが合力になるべきや。これを思へ。