去程に、ねたなを帝王、國中の道俗學者を召寄せ、「汝らが心におゐて思ふ不審あらば、此いそ保に尋よ」との給へば、ある人進み出て申けるは、「ある伽藍の中に柱一本あり。其柱の上に十二の里あり。その里の棟木卅あり。かの一つの柱、■驛二疋つねにのぼり下る事いかん」。伊曾ほ答云、「いとやすき事にて候。われらが國には、おさなき者までも是を知る事に候。ゆへいかんとなれば、大伽藍とはこの界の事なり。一本の柱とは一年の事なり。十二里とは十二か月の事なり。三十の棟木とは卅日の事なり。二疋の■驛とは日夜の事なり」と申ければ、かさねて「いな」と云事なし。
ある時、御門を始め奉り、月卿雲客袖をつらね、殿上に竝み居給ふ中におゐて、御門仰けるは、「天地開け始めてよりこのかた、見もせず聞きもせぬ物いかん」とのたまへば、いそほ申けるは、「いかさまにも明日こそ御返事申べけれ」とて、御前をまかり立つ。さて、其日に臨んで、いそ保參内申ければ、人々これを聞かんとてさしつどひ給へり。その時、いそ保懷より小文一つ取りいだし、「今日こそわが國へまかり歸る」とて奉りければ、御門開ひて叡覽あるに、「それりくうるすといふけれしやの帝王より、三十萬貫を借り候所、實正明白なり」とありければ、御門大きにおどろかせ給ひ、「われ此事を知らず。汝は知るや」と仰ければ、をの\/口をそろへて、「見た事も聞き奉る事もなし」といひければ、その時いそほいひけるは、「さてはきのふの御不審は啓けて候」といひければ、人々「げにも」とぞ云ける。