伊曾保物語 (中) - 16 鶴と狼の事

 ある時、狼喉に大きなる骨を立てて、すでに難儀におよびける折節、鶴此由を見て、「御邊はなに事を悲しみ給ふぞ」といふ。狼泣く\/申けるは、「我喉に大きなる骨を立て侍り。これをば御邊ならでは救ひ給ふべき人なし。ひたすらに頼奉る」と云ければ、鶴件のくちばしを伸べ、狼の口をあけさせ、骨をくはへてゑいやと引きいだす。その時、鶴狼に申けるは、「今より後、此報恩によつてしたしく申語べし」と云ければ、狼怒つていふやうは、「なん條。汝がなにほどの恩を見せけるぞや。汝が頚しやふつと食いきらぬも、今それがしが心にありしを、助けをくこそ汝がためには報恩なり」といひければ、鶴力におよばず立ち去りぬ。
 そのごとく、惡人に對して能事を教といへども、かへつてその罪をなせり。然といへども、惡人に對してよき事を教へん時は、天道に對し奉りて御奉公と思ふべし。