伊曾保物語 (下) - 05 馬と狼の事

 ある馬山中を通りけるに、狼行きむかつて、すでに此馬を■らはんとす。馬計事に申けるは、「此所におゐて我を餌食となし給はば、後代の聞え惡しかりなんず。猶山深く召つれ給へ。なにと成共計らひ給へ」と申ければ、狼げにもと同心す。その時、馬、繩を我腹につけて狼の頚に括り付て、「何國へなり共つれさせ給へ」と申ければ、「此山は案内知らず。汝道びけ」と云ければ、馬申けるは、「これは里人行道にてはなし。奧山への直道」と申。かれも是も歩み近づく程に、手づめになりて、狼、たばかられんとや思ひけん、うしろへゑいやつとしさりければ、馬は前へぞ引つかけける。さしもに猛き狼も、大の馬には強く引かれぬ、せんかたなげにぞ行たりける。主この由を見つけて、まづ狼にいたく棒をぞあたへける。そばより楚忽人走り出て、刀を拔ひて斬らんとす。狼のふよかりけん、その身を外れて繩を切られ、ほう\/と逃げてぞ歸りける。
 そのごとく、我敵と思はん者のいふ事をば、よく思案して從ふべし。あはてて同心せば、かの狼がわざはひに同じかるべし。