伊曾保物語 (中) - 08 いそほ夫婦の中なをしの事

 ゑしつとのうち、かさといふ在所に、のとといへる人のありけり。是は富み榮へて侍れども、其妻のかたは貧しくして、たよりなき父母を持ちて侍りき。かの妻、もとより腹惡しくて、つねに夫の氣に逆へり。
 ある時、夫に隱れ親のかたへ歸りぬ。其時夫歎き慕ふ事かぎりなし。人をやりてよべども、かつていらへもせず。男あまりの悲しさに、伊曾保を請じてありのまゝを語、「いかにとしてよび返さんや」と問ひければ、いそ保、「是いとやすき事なり。けふのうちによび返すべき謀を教へ奉らん。」といふ。その謀に、まづおとづれ物に色々の鳥けだ物を荷はせて、妻のありしもとに行きていふやう、「我頼みたる人けふ女房を迎へられけるが、砂糖なし。もし此家にあるか」と問へば、妻これを聞きて、「すはや」とおどろきさはぎて、「われを捨てて餘の妻をよぶ事無念なり」とて、そのまゝ男のかたへ走り行て、「なんぞ御邊はことなる妻をよぶとや。ゆめ\/その儀かなはじ」などと怒りければ、男笑つていはく、「けふ汝歸らるべしと思ひ侍れば、そのよろこびのために、かく珍しき物を買いもとむる」といひて、又いはく、「このはかり事はいそほの才覺なり」とぞよろこびける。
 それよりいそほは、えしつとの御門の御暇を給はりて本國へ歸りける時、御約束の寶祿をも取りて致れる。これによつて、御門大きに御感あり。その外、ゑしつとにてなしける所のことはりども、こま\〃/と語りければ、「誠にこのいそほはたゞ人ともおぼえぬ者かな」と、人々申あへりけり。