伊曾保物語 (下) - 08 鳩と蟻の事

 ある河のほとりに、蟻あそぶ事有けり。俄に水かさまさりきて、かの蟻をさそひ流る。浮きぬ沈みぬする所に、鳩木末より是を見て、「あはれなるありさまかな」と、木末をちと食ひ切つて河の中におとしければ、蟻これに乘つて渚にあがりぬ。かゝりける所に、有人、竿のさきにとりもちを付て、かの鳩をささんとす。蟻心に思ふやう、「たゞ今の恩を送らふ物を」と思ひ、かの人の足にしゝかと食ひつきければ、おびへあがつて、竿をかしこに投げ捨てけり。其ものの色や知る。しかるに、鳩是をさとりて、いづく共なく飛び去りぬ。
 そのごとく、人の恩を受けたらん者は、いかさまにもその報ひをせばやと思ふ心ざしを持つべし。